生年月日 | 昭和41年4月9日 |
血液型 | A型 |
星座 | 牡羊座 |
趣味 | パソコン・ショッピング |
出身地 | 大阪府守口市 |
好きな食べ物 | 果物・お菓子 |
学歴 | 守口市立八曇小学校 守口市立八曇中学校 私立PL学園高等学校 同志社大学文学部(中途退学) |
戦績 | <中学時代> 準硬式野球大阪府下大会二年連続優勝投手 <高校時代> 第56回選抜高校野球大会準優勝 66回全国高等学校野球選手権大会準優勝 日本高校野球選抜日韓親善試合の韓国遠征メンバー |
受傷日 | 昭和60年9月22日 ケガ名 第4・5頚椎脱臼骨折 |
経過 | 同志社大学一回生の秋、関西学生リーグの公式戦、 対近畿大学との試合中に、 二塁へヘッドスライディングを試みた時に 相手のショートと激突して首の骨を折る。 その後、近畿大学付属病院救命センターで 手術が行われ命を取り留める。 9ヶ月後、リハビリの為に星が丘厚生年金病院へ転院 1年2ヶ月後、不治の為自宅療養。 8年後、父が脳梗塞で倒れ、今まで世話をしてくれていた母が 父の看病をする事になり、私の世話をしてくれる人がいない為 病院を転々としながら一人暮しの準備を始める。 現在、枚方市の社会資源だけで一人暮しをしている。 |
備考 | 口にくわえたスティックでパソコンを使い 9年かけて書き上げた著書 「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ゴマ書房)が ベストセラーとなる。 一人暮らしをして5年後に結婚。現在に至る。 |