この動かない体の状態が 車椅子に乗っていることが 恥ずかしいようでは 障害者「失格」だ ケガをしてはじめて甲子園に行った時 一番何が恥ずかしかったかというと それは「真っ白な顔」だった そして、気づいたことは “俺って色白だったんだ” 何年も清水哲をしてきて ケガをして知るなんて |
「エッセイ」 小学一年から野球を始め、暇さえあればボールか魚かバッタを追いかけている。 じっとしていない子供でした。良く覚えてるのですが、 通知票には必ず「落ち着きがない」と書かれていました。 暑い日であろうが寒い日であろうが、とにかく外で走り回っていました。 夏になれば、「一枚刈り」という、髪の毛の長さを1ミリにする髪型で、 炎天下の中を遊んでいました。 するとある日、頭にフケが付いているではありませんか。 だけど、毎日シャンプーしていたし、何と言っても髪の毛があってないような状態ですから、 どう考えてもフケが出るように思えません。手に取ってよく見みると、 それは何と頭の皮だったんです。日焼けで皮がむけていたのです。 日焼けは、私にとってごく当たり前のことでした。 それが今では、体温調節が難しく外に出て日焼けすることはありません。 しかし、ケガをしたからといって、人間の中身全部が変わる訳でもありません。 あの暑い夏が来るとどうしても我慢できず、みんなが「無茶や」と言うけれど、 体が覚えているのでしょう、「甲子園」に足が向いています。 3年前に母校の応援に行った時の日焼けによる時計の跡がいまだに消えず残っています。 これが私の宝物のうち1つです。 本来なら「車椅子姿」「動けない体」を見られるのが “恥ずかしい”とか“かっこ悪い”とか“辛い”事なのに、 「白い顔」を見られることが嫌だというのだから、変わり者だ・・。 でも、それでいいんです。それが私の価値観ですから・・。 大学時代、よく先輩から「頼むから、ジャージで授業を出るのをやめて欲しい」と言われました。 ですが、私には「ジャージはスポーツマンの制服だ」という哲学がありましたので、 恥ずかしくもなんでもないことでした。 でも、一度だけジャージで「高級クラブ」に飲みに行ったときは、さすがに断られました。 こんな私ですから、いつまでも「スポーツマン」でいたいのです。 それが病人みたいな顔をしてるようでは、話になりません。 これから1歩でも多く外に出て、色々なことを学び吸収したいと思います。 |