『歩く』



下を向く必要はない
なにもカッコ悪いことでもない
ただ、車椅子に乗っているだけ
ただ、体が動かせないだけじゃないか
しっかり前を向いて歩こう
笑う奴 不思議そうに見る奴はほっといて
自分の思い通りに歩けばいい
目標を持ってない人より人間らしい
歩いて歩いて歩き通せば
必ず道が開ける
夢に向かって歩き続けよう
必ず何かをつかむことができるから
自分を信じてただひたすら歩く
それが成功への道かもしれない


「エッセイ」

私は自分の足では歩く事は出来ない。
でも、手、足が動くとか動かないに関係なく、
人間である以上は”人生”は歩いていかなければならない。
だけど、障害者になってわかった事ですが、
”障害者”というだけで「暗い」「汚い」「かわいそう」「何もできない」など、
色々とその人の能力やその人に関係がない事でも
”障害者”と言うだけで、健常者の人の中にそういう”イーメジ”が出来上がっている。
私は母からこう言われた事があります。
「あんたわ何も出来へんねんから寝てたらええねん」と・・。
この言葉が象徴しているように、チャンスも与えられず
相手にされないというケースが余りにも多い。
何も身体が不自由になったからといって悲観する事はいらない。
確かに、今まで通りという訳にはいかないけれど、
同じ世界、同じ社会で生活していかなければならいのだから、
自分という”人間”を不自由ながらにも自分らしく『表現』すればいいと思います。
そうすれば、自ずと道は開ける。と、思っていないとやってられない。
たった一度しかない人生なんだから、自分の好きなように生きればいいと思う。
それは、障害者も同じ事。だから、何も遠慮する必要はないのです。
だから、「何も出来ない」のではない。
残された機能の中出来る範囲以内で好きな事をすればいいと思う。
上を見ても下を見てもきりがない。
今、自分に何が出来るのか、何をしなければいけないのかを考えた時、
それが私の場合、話しができるので講演をし、
口にスティックをくわえればワープロができるので、
詩やエッセイを書いたりしています。