『翌日の朝』



夜、熟睡が出来る日は
数えるほどしかない
八時間ぐらいぐっすりと眠りたい

一日か二日眠り続けたら
もしかすると動くようになっているかも
そう思い続けて十年
やっぱり、目が覚めても
何も変わっていない

今日もまた
神様にお祈りをしてから
期待を込めて消灯する


「エッセイ」

夢の中の私は障害者ではありません。
ケガをする前の元気すぎる私がそこにいます。
でも、それが私にとっては本来の姿です。だから、夢を見るのが好きです。
現実とは違うというところに、夢の“偉大な力”があるように感じます。
その力で、寝ている間に治っているような気がします。
言い換えれば、“今の体の状態が、夢であって欲しい!”という願いなのかも知れません。
私は、いまだに自分がケガをしたことが信じられません。
何故かというと、寝ている時はどこが痛いという訳でもないからです。
あの、野球をやっていた頃と何も変わらないからです。
そう思う自分がいるかと思うと、
“もしかすると甲子園でホームランを打ったのが夢ではないか”と考えている自分もいます。
特に、桑田や清原が活躍すればするほど、生活空間や住んでいる世界があまりにもかけ離れすぎて、
一緒に野球をやっていたことを疑ってしまいそうです。
人は人生の3分の1を眠って過ごします。
そういう事から考えてみると、眠ることの重要性がわかると思います。
それだけに、そこに秘められたものがあると思うのです。
今の医学で治せない以上、そういう科学では割り切れないものに頼るしかありません。
この体の状態はあまりにも不自由すぎるから、
この体の状態がどうしても好きになれないから・・・。
今日も明日も「治りますように!」とお祈りしてから、眠ります。