人はどうしても自分の感覚で 人に接してしまう そんな時、最後に一言がほしい 「あと、もの足りないところは」 この一言がうれしい ひとりで何もできないことを 知っているのに 私の前を素通りしていくなんて 残酷すぎる そんな時、一言がほしい 「今、してほしいことは」 これぐらい言える余裕がほしい この一言が 身のまわりのことができない者にとって どれだけ助かるのかわかりますか |
エッセイ」 介護を「する」側と「される」側は最低でも「対等」でないといけないと思います。 それでも、「される」側の立場というのは弱いものです。 “言いたい事を言える”環境を作るのも看護婦さんの仕事のひとつだと私は思います その時に、「してあげている」という気持を持った人と、 「仕事は仕事」になっている人は、いくら動けない人の横にいても声のひとつもかけない。 そらそうですよね。声をかける事によって自分の仕事が増えるんですから。 誰でも嫌ですよね。でも、それだったらそこらへんのOLをしといて下さい。 マニュアル通り、その日のメニューだけをすればいいと思っておられるのでしたら、 看護婦さんの仕事には向いていないかもしれません。 看護婦さんという立場上、何気なく言った一言が励みとなり、 人生までが変わってしまう時もありますし、 逆に患者さんを傷つけることもあると思います。 しかし、それが理解できてない人があまりにも多いです。 私は同じ障害者の人から“頑張って下さい”と人は言うけれど、 ここまで必死になって頑張ってきたのに、これ以上どうしろと言うのか・・・。 という相談を受けたことがあります。 そのまま「ありがとう!」と受け取れない側にも問題があると思いますが、 それだけ看護婦さんの一言が、人を喜ばしたり、 苦しめたりするという事を覚えといてほしいです。 私がこのケガをしてから、色々な人から色々な声をかけていただきました。 その中で、今でも印象に残っているのが、「あなたのウンコなら食べられます」です。 この人は今どこに・・。この人を逃した私はバカでしょうか・・・? それと、私が言われてうれしかった一言に、 「清水君は、あの甲子園の決勝戦の9回裏、3対4で負けている時に、 ホームランで一度はPLを救ったのです。 だから、今度は日本の福祉を救うために、このケガをされたんじゃないですか・・。」 |