『あの時のように』



キーン やったア」
1塁を蹴って 2塁へ
「きわどい、スベリ込まなければ・・・。」

あれ? おかしいな?
ふと足元を見る
もう一度良く見る
これではスベリ込めるはずがない
何と足が「車椅子」

どんな名医が「今の医学では治せない」と言うおうと
いつの日か、また野球が出来る事を信じている
この体は誰のものでもない
私の体なんだから自分だけでも「治る」と信じたい

「甲子園」の時のように、いつか叶う気がする


「エッセイ」

夢の中の私は元気です。元気という表現はおかしいですね。
今も元気なんですから。正しくは、夢の中では自由に身体が動かすことができます。
私は夢を見るのが大好きです。
『甲子園』という夢を叶えてから、見る夢全てが“正夢”になるような気がしてなりません。
私が時々考えることですが、甲子園に出たのが夢で、
今の状態が元々の姿だったのか、それとも、今が夢で、甲子園の頃が現実かなと・・・。
できれば、今が夢であって欲しい!
あの甲子園の頃に戻ることができたらなと思います。
しかし、どちらも現実なんですよね。
いくら嫌がっても現実からは逃げることはできないんです。
でも、夢の中でだけは現実から逃げることが許されているみたいです。
だから、夢を見るのが好きです。
この詩は、私が実際に良く見る夢です。
夢の中では、今も桑田や清原と一緒に野球をやっています。
だけど、いつも現実が交わるんです。
「2塁に滑り込もうとしてもスライディングができない。
おかしいなと思って足元を見ると車椅子に乗っている・・・。」
ここでいつも目が覚めるんです(不思議)。
目が覚めた時に自分でも笑ってしまいます。
もしかしてこれは、障害者としての自覚が出てきたという事なのでしょうか・・・?
こんな自覚はいりませんが・・・。
これからも沢山の夢を見て、1つでも多く正夢になるように頑張りたいと思います。
そして、いつの日か『あの時のように』思い切り走り回れることを信じています。