2003年2月

 暖冬と言われた冬もようやく終わろうとしていますが、「何処が暖冬やねん!」と言いたいです。そんな中、私は暖かいジャイアンツの宮崎キャンプに行ってきました。
 今回の目的は既にご存じかもしれませんが、桑田&清原の両選手に私が『応援歌』の作詞をして作曲家の鍵山稔さんが曲を付けて下さり、そのサンプルができあがったので渡しに行きました。
 これも急な話でドタバタとしかも1泊2日というちょっともったいない、言い方を変えれば贅沢な訪問になりました。
 1日目。
 空港に着いたのが既に14時で既にジャイアンツの練習は終わってる時間でしたので、とりあえず選手が泊まっているホテルに行くことにしました。
 ホテルに着くといきなり「関係者」という名札みたいな物を付けさせられました。
 次の日の天気予報が雨のため日曜日に行われるはずの紅白戦を急遽前日に行われたらしく、私がホテルに着いた時にはまだ選手は帰ってきていませんでした。仕方がないのでしばらくホテルのロビーで待つことにしました。ロビーにはジャイアンツの定宿らしく、王選手や長島選手のサインやバット、パネルとかでジャイアンツ一色でした。
 しばらくすると外が賑やかになり、誰か選手が帰って来たのが直ぐにわかりました。そしてはそれは誰かというと桑田でした。一人で帰ってくるというところがプロの選手らしいところです。
 桑田とは立ち話で、紅白戦で登板したことなど色々と話をして次の日も逢う約束をして別れました。そして、清原のことを聞いたんですが風邪でダウンということでしたので、その日は自分達の泊まるシーガイヤのコテージに帰りました。
 皆さんももしキャンプに行かれることがありましたら、早めに予約することをおすすめします。私達も出来るだけジャイアンツの選手が泊まっている近くで泊まられるように努力をしたんですが、東京や大阪からツアーで来られてる人も多く、本当にホテルに空きがないんです。それと私の場合、空港からホテルなどの交通の足なんですがリフト付きの車が必要なんですがこれがレンタカーが全て予約が入っててどうすることも出来ず、鹿児島の友人にお願いをして宮崎市内で病院を開業されている人にお願いをしてリフト付きの車を借りてもらいました。本当に助かりました。
 私達が泊まったコテージにはJリーグのサンフレッチェも一緒でした。そこで思ったのは、報道陣やファンの人達の数の違い、しかもホテルではなくコテージ・・・。
この違い皆さんはわかりますか? プロ野球のトップであるジャイアンツと比べたらダメなんでしょうけど、余りにも差がありすぎて・・・。例えば、ジャイアンツの選手はほとんどが一人部屋を与えられるんですがサンフレッチェの選手は4人部屋か8人部屋。しかもその日は次の日が雨の予報でしたので夕方には雨が降っていました。すると、サンフレッチェの選手はコテージから管理棟の上に歩いて行き食事をするんですが、これがホテルであれば階をかわればいいだけです。しかも、ジャイアンツの選手は全員がユニホームはクリーニングです。でもサンフレッチェの選手はコインランドリーで自分達で洗ってました。同じプロで種目は違うとはいえここまで差があるとは思いもしませんでした。
 2日目。
 雨だと思っていたのが晴れてました。桑田が言うには「早めに球場に来ないと渋滞に巻き込まれますよ」と聞いていたので早めに行きました。ですが、ジャイアンツのマネージャーが来てないため、家族パスが受け取ることが出来ず、仕方がないのでジャイアンツグッズを売ってるお店をずっと見てました。そして私が買った物は「てつちゃん」という「はんこ」です。
 約1時間近く待ってやっと家族パスを受け取ることが出来ました。ところで皆さん、「家族パス」ってどういうものだと思いますか? これは白い帽子に金色の刺繍で「2002年日本チャンピオン」と英語の筆記体で入っており、横には「2003年スプリングキャンプ」と入ってる非販売の物です。これは本当に貴重な物です。超ラッキー!
 プロ野球の練習を最初から見たのは初めてでした。その感想はPLの練習の方が数倍しんどいなと思いました。それと、元木選手。これはあかんね! 何があかんのかというと余りにもダラダラしすぎ! 見ていてとても不愉快になりました。これが全員というのであれば「こういうものなのか・・。」と思うんでしょうが、一人だけがダラダラしてるんで目立つし、プロ野球のイメージというかジャイアンツのイメージを思い切り壊してたと思います。しかも、首脳陣も誰も注意しないと言う・・・。
「これではあかん!」と思いました。プロだから個人の管理に任しているのでしょうが今の時代この程度の事も言わないといけなくなってきてるんでしょうね。
 清原がキャッチボール中に私に気づいたらしく、キャッチボールが終わると直ぐに私の所へ来てくれました。そして、風邪の事、足の事、など話をしてこれからバッティングに行くというので「俺も見に行ってもいい?」というと「良いですよ。エアードームに来て下さい。」というので見に行くことにしました。しかし、清原は車で移動するんですが、総合運動場内は一般車両は通行禁止なんです。だから私達は歩いて行くしかないんです。約20分歩いてようやく到着しました。
 エアードームの周りには報道陣とファンが群がっており、私達はその間を通り中に行くと、ジャイアンツスタッフらしき人がいたので「すいません。清原のバッティングが見たいんですけど・・。」というと「お名前は?」と聞かれたので「清水哲です。」というと「わかりました。聞いてきます。」といって中に消えていきました。直ぐに帰ってこられ「どうぞ」と言って中に通されました。すると、清原も居たんですが桑田と他の投手陣もそこに居てアップをしてました。
 私は2年前にキャンプの時にジャイアンツの選手に講演してるので上原選手とかも後輩の入来もちゃんと挨拶をしてくれます。そして、桑田が「これからランニングに行きます。それから食事をしてホテルに帰ります。取材が入ってますがその後逢いましょう。」というので「わかった。後でホテルに行くわ」と言って別れました。
 そうこうしてるうちに清原がマシンを相手に打ち込みを始めました。清原は風邪を引いてるので本当は「休みたい」と私に言ってました。ですが「マスコミがうるさいから・・。」と渋々練習に出てきてる様子でした。
 最初は真ん中のコースを打ち、しばらくしてからホームベースに近づいてインコースを打ち込み、最後は得意の外角のコースを打ち込んでました。それが終わると、今度はカーブマシンを打ち込みました。この時も真ん中、インコース、外角と自分で離れたりくっついたりして打ち込んでました。風邪を引いてるはまずまずかなと・・・。でも得意の外角は高校時代と変わらず『天下一品』でした。できればネットのないところで見たかったです。最後は、スタッフの人からティーバッティングで左打ちで終わりました。何故、左打ちなのかというと、身体のバランスです。右打ちばかりしているとその筋肉ばかりが鍛えられるのでどうしても身体のバランスが崩れるんです。例えば、ランニングをする時足ばかりを鍛えてもダメなように腕も鍛えないと
(ランニングは腕をフル事も重要)早くならないのと同じ事です。
 帰り際に清原「時間とれる?」と聞くと「これから食事をして病院に点滴に行きますから、食後だったら・・。」というので球場に戻って待つことにしました。
 桑田、清原は別メニューで調整でした。この辺はベテランというか首脳陣からの信頼だと思います。だから他の選手とは別行動ですので私的には色々と動かないといけないので大変でした。
 清原を待ってると原監督が来て下さり、私の名前もしっかりと覚えていて下さり、一緒に写真も撮っていただきました。清原を待ってると原監督が来て下さり、私の名前もしっかりと覚えていて下さり、一緒に写真も撮っていただきました。いつもさわやかでとても好印象です。
 しばらくして清原が来てくれて、あのサインを嫌がる清原が笑顔でしてくれるんです。これが本当の私が知ってる清原なんです。私もしっかりといただいた帽子にサインをしてもらいました。そして、今回の宮崎キャンプの目的である『応援歌』のサンプルCDを渡すと一段と笑顔になり、本当に笑うとかわいい男です。
 それが終わったのが13時過ぎ。みんな腹ぺこ状態で直ぐに宮崎名物の一つ「釜揚げうどん」を食べに行きました。別に美味しい店を探して行ったわけではないのですがとても美味しかったです。私のお薦めです。
 食後、桑田に逢うためにホテルに行くと桑田はトレーナーのマッサージ中でした。仕方がないのでロビーで待っているとホテルの方が来られて逢えるのかと思ったら「今から取材に入りますので時間がかかります。」ということでした。それから待つ事約3時間。飛行機の時間もあるのでもう限界「もういいわ」と思って一応、携帯に帰ることだけ伝えておこうとメッセージを残しておきました。そして、受付にもメッセージを残して帰ろうと車に乗り込み電動車椅子の固定をしているところに桑田から電話が・・・。「今、どちらですか?」と言うので「駐車場」と応えると「今、取材が終わって・・。ちょっと長引いてすみません。」と言うので「逢える?」と聞くと「わかりました。降りていきます。」ここでも俺はあの夏の決勝戦の9回裏のように土壇場でホームランを打ってしまいました。“清水哲健在!”という感じでした。
 桑田が降りてくると報道陣が待ってましたかのようにカメラでバチバチ・・・。ここで私が思ったのは、今までロビーに居てる間何人もの選手がエレベーターから降りていったのにこの差はなんや! 「同じプロ野球選手でもここまで違うの?」という感じでした。それにしてももう逢えないのかと思っていただけに喜びも倍になりました。そして、無事にCDのサンプルを無事に手渡しできて本当に良かったです。
 帰りは私と妻は伊丹空港でもう一人が関西空港という・・。急な話でしたのでチケットが取れなかったのです。
 あとは桑田、清原も元気で今年も活躍をしてくれることを願うばかりです。