1997年 8月

“甲子園”が始まりました。 大阪代表がPLでないのが寂しいです。
でも、後輩達も良く頑張ったと思います。
というのも、大阪大会の準々決勝、対大阪桐蔭戦。
(私はこの試合に勝つと甲子園に出場できると思ってました)
試合観戦は出来ませんでしたが、電話で途中経過を聞いていました。
一番初め聞いたときは「7対4」で負けてました。
「無理かな・・。」と思ってました。次に、電話をかけたときは「9対7」だったんです。
「これはいける!」と思って応援してました。
次に、電話をかけたとき9回で「9対8」でPLが勝っていたので、
「決まりやな」と・・。そして、10分後「10対9」で破れてました・・・。
試合には負けてしまいましたが、「7対4」で負けてると知ったとき
「このまま・・。」と、正直そう思ってました。
だけど、後輩達は一度は“逆転”をしたのです。
あの意地、粘りこそ『PL野球』です。それだけでも必ず“明日”につながると思います。
いつまでもこの“悔しさ”を忘れないで欲しい。

今年、中村監督さん(現・PL学園硬式野球部)の息子さんが、野球部に居てました。
私が高校の時に良く「研志寮」に遊びに来ていましたので、野球をしたりして遊んでました。
その時に、監督さんの“クセ”なんかを教え込んで「家に帰ったらヤルねんぞ!」と・・・。
次の日には「哲! 何を教えたんだ!」と怒られたこともありました。
出来ることならば、私が“甲子園”で貴重な体験をさせてもらったのだから、
同じ経験をさせてあげたかった・・。
やっぱり、あの時“監督さんのマネ”を教えたのが悪かったのでしょうか・・・?

今年の選手権大会。私の予想としては、「智弁和歌山」と「敦賀気比」のどちらかが
優勝するんじゃないかと思っています。
しかし、今の高校野球は“どんぐりの背比べ”状態ですので、
大きなミスをしなくてもちょっとした“心の隙間”があると
そこをつかれて負けてしまうぐらいに、どこのチームも実力の差はないと思います。
一つでも良い思い出を作って帰って欲しいです。

「8月15日」は終戦記念日でした。私が思うには、良い事も悪い事も
“次の世代”に伝えていかなければならないと思います。
そして、同じ事の繰り返しをしないようにすることが、私達の役目だと思うのです。
それなのに『テレビ』には“戦争”の特番らしき物がないんです・・・。
日本は戦争に負けた事の“悔しさ”を忘れたのでしょうか・・・?
戦争に負けて、後悔とか悲しさとか悲惨さ・・。
どこにいってしまったのでしょうか?私も「戦争の知らない」世代です。
それでも嫌です。今の『平和』が忘れさそうとしているのでしょうか?
それは違うと思うのです。
『平和』だからこそ、それを“維持”していく為にも今必要なことだと思います。
今、平和すぎて、日本各地で異常な“犯罪”が多発しています。
ちょっと人間の“死”とか“命”の事を考えなければいけない時期にきてると思います。

昭和56年度 大阪府守口市立八雲中学校を卒業した
3年1組の『同窓会をしよう!』
シンさん・エッチ・ヤンペー 連絡待っている。