1997年 7月

梅雨明け間近・・。待ちに待った「熱い」高校野球の予選が始まります。
大阪は「上宮」が有力ですが、だけど、そう簡単には行きません。
それが高校野球であり、スポーツです。
なんと言っても我が母校の『PL学園』がだまってません!
必ず、相手を苦しめ、ちょっとのスキが有れば勿論「勝つ。」
それに、PL伝統の「逆転」「奇跡」と言われる野球は
相手チームにとって「恐怖」でしょう。
後輩達よ 頑張れ!

日生球場が今年で終わりです。
私は中学生の時から試合をし、優勝や甲子園の「夢の切符」を手にした所であり、
時には、負けて悔し涙も流し、スタンドの女の子に恋をした事も・・。
そして、首の骨を折った所でもあります。
良い事も悪い事も色々ありましたが、私を育ててくれたと言っても過言ではない、
その「日生球場」が無くなってしまうのは寂しいです・・・。
最後に、貴重な体験をさせてくれた、
思い出を沢山作ってくれた「日生球場」ありがとう!

元千葉ロッテの伊良部投手が、日本人初の大リーグで、
初先発、初勝利を上げたのは皆さんも知っておられると思います。
でも、忘れてませんか? 「わがまま」とか色々な事を言われていたのを・・。
今、「夢」を追える人がどれだけいるのでしょうか・・?
人は、身体の成長と共に頭の中身も成長します。
これが、「夢」を追う事が「大変」だという事をわからせ、気力を失わせます。
それに、年をとればとるほど守るものができ、
「夢」に挑戦したくてもできない状況があります。
そんな中で、自分の我を通し、「わがまま」だとかマスコミに叩かれながら
「夢」を叶えた伊良部投手は、偉いと思います。
「夢」を叶えるにはそれだけ何かを
「犠牲」にしなければいけないという事だと思います。

尼崎市社会福祉協議会主催の講演に行って来ました。
この日は、凄く暑かったのですが、大ホールが「超満員!」という大入りで 、
せっかく用意していったギャグも緊張と予想外の所での笑いとで忘れてしまい、
まだまだ「ケツが青い!」と思いました。
でも、皆さんが喜んでくださったので良かったです。
おまけに「感謝状」まで頂きました。
この時、理事長さんは身体の調子が良くないにもかかわらず、
わざわざ私に逢いに来て下さいました。
皆さん「本当に有り難うございました。」
でも、「持てる男は辛いな!?」

昭和56年度 大阪府守口市立八雲中学校を卒業した
3年1組の『同窓会をしよう!』
シンさん・エッチ・ヤンペー 連絡待っている。